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東京高等裁判所 昭和50年(う)1126号 判決 1975年12月11日

主文

原判決を破棄する。

被告人を罰金九万円に処する。

被告人において右の罰金を完納することができないときは、金二、〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

原審及び当審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は弁護人中村周而、同中村洋二郎、同工藤和雄、同足立定夫連名提出の控訴趣意書及び控訴趣意補充書に記載されたとおりであり、これに対する答弁は検察官提出の答弁書に記載されたとおりであるから、ここにこれらを引用する。

控訴趣意書第二点の控訴趣意(控訴趣意補充書によつて補充されたもの)について。

所論は、要するに、

原判決は被告人に警音器吹鳴義務と減速徐行義務を課し、被告人がこれらの注意義務を怠つたとして過失を認定している。しかし、当時、被告人が通行した県道は幅員7.25メートル(優先道路であることを示すセンターラインが敷かれている)であつたのに対し、被害者が県道に進入するに先き立ち進行していた敷地内通路は幅員四メートルしかなく、このような道路状況にあつては、県道上に駐車車両があると否とにかかわらず、右敷地内通路から県道に進入する車両の運転者は一時停止して県道上の交通の安全を確認してのち県道に進入すべき注意義務を負うのであり、県道上を進行していた被告人としては、被害者が右注意義務を遵守するであろうことを信頼して進行すれば足り、被害者が敷地内通路から一時停止することなく、県道上に進入することのあり得ることまでも予想して、自車を減速徐行し、且つ警音器を吹鳴すべき義務はなかつたのである。しかるに、原判決が、前記のように、被告人に右両義務があることを肯定したうえ、これらの義務に違反したとして過失を認定したのは、刑法二一一条前段の解釈・適用を誤つたものであり、その誤りが判決に影響を及ぼすことは明白である。

というのである。

そこで検討するのに、原判決は被告人の過失の態様につき、「……被告人のそれまでの進行方面からは、右駐車車両に遮ぎられて同車両前方の皆川組正門前県道上の状況は判らなかつたのであり、且つ、被告人は、同県道をしばしば通つておつて駐車車両前方左側に、皆川組正門があり同正門より皆川組(皆川家)屋敷内に出入する通路があることを知つており、同正門より車両又は人の出入のあることをも予想警戒しておつたのであるから(……省略……)、進路を変更して駐車車両の右側を進行するに当つては、皆川組正門前県道上に同門内通路その他より車両又は人が進出して来るやも知れぬことに思いを致し、警音器を吹鳴して正門前県道上の駐車車両の蔭になつている車両又は人に自車の進行を警告すると共に、万一駐車車両の蔭より車両又は人が、突如、被告人の進路に進出して来た場合、直ちに、停車し得るように減速徐行し、もつて事故の発生を未然に防止すべき注意義務があるのに、これを怠り、それまでの速度六〇キロメートルを五〇キロメートル位に減速したのみで、警音器も鳴らさず駐車車両追抜きのため、その車両の右側に出て進行した過失により、……」と摘示していることが認められ、右によれば、原判決が被告人に対し警音器吹鳴義務及び減速徐行義務を肯定し、右両義務違反の過失を認定したことは所論のとおりである。

しかして、原審で取調べた関係各証拠によれば、被告人は自動二輪車(排気量四五〇CC)を運転し、新潟市名目所一、五〇四番地先県道(幅員7.25メートルで道路中央部分に白破線のセンターラインが設けられている)上センターラインの左側部分(以下進行車線という)を三菱ガス化学方面より国道七号線方面に向け進行中、進路左側の同番地土建会社皆川組正門道路から県道に進入し、対向車線に入るため被告人の進行車線を右斜めに横断中であつた被害者皆川松治運転の原動機付自転車と、右正門前県道上において衝突したことが認められる(被害者の皆川組正門通路から県道上への進出が交差点内への進入ではなく単なる横断であることは、右正門から皆川家の屋敷内に通ずる幅員約四メートルの通路が道路交通法二条一項一号にいう道路に当たらない旨原判決が正当に説示したところから明らかである)。したがつてこの場合、原則的には所論のとおり、車両を運転して県道を横断しようとする者は、歩行者または他の車両等の正常な交通を妨害しないようにする安全確認義務を負う(道路交通法二五条の二第一項参照)のであつて、県道上を進行する被告人としては、特段の事情がない限り、横断車両が右安全確認義務を遵守することを信頼して自車を運転すれば足り、この義務を怠つてその進行車線を横断しようとする車両のあり得ることまで予想すべき注意義務はないものといえるであろう

しかしながら、本件においては、原審で取調べた各証拠並びに当審で取調べた検証調書及び証人小林清の尋問調書を総合すれば、以下の事実が認められる。すなわち、被告人が自動二輪車を運転して県道上を前示皆川組正門付近に差しかかつた際、同正門手前の進行車線左側端に正門の方から普通貨物自動車(パネル車)、大型貨物自動車(八トン車)の順序で二台の車両が相接して駐車していたこと(二台の車両の順序については、もし認定とは逆の順序で駐車していたとすると、実況見分ないし原審及び当審の検証の際における被告人の指示説明どおり、被告人が②地点において地点の被害車両を最初に発見することができるためには、大型貨物自動車は極端に道路左側端に寄つて駐車していたとみなければならず、不合理である)、被告人は同正門手前で右駐車車両を認めたが、そのまま進行すればこれに追突することは確実であり、またこれに遮ぎられて同正門前はもとより進行車線前方の道路状況を見とおすことは全く不可能であつたこと、そこで被告人は、漸次、自車の速度を従前の時速約六〇キロメートルから四五ないし五〇キロメートルに減速するとともに、自車をほぼセンターライン寄りに移行させて自車の進路を変更したうえ、駐車車両の右側方を通過しようとしたところ、大型貨物自動車の右後方(前示②地点)において、前方23.3メートル位の地点(前示地点)に、皆川組正門通路から県道に進入し、前示のように、被告人の進行車線を右斜めに横断中であつた被害者皆川松治運転の原動機付自転車を発見し、急拠、ハンドルをやや右に切ると同時に、急制動したが間に合わず、自車を右原動機付自転車に衝突せしめたこと、被告人は自動二輪車等を運転して同所をしばしば運行していたもので、前示駐車車両の前方に皆川組正門及び同正門から皆川家屋敷内に通ずる通路があり、仕事関係の車両または歩行者が、日頃、同正門を通つて通路から県道に出たり、県道から通路に入つたりしているのを知つていたことが認められる。そして、同正門通路から被告人の進行車線を横断しようとする者にとつても、右のように、同正門右側に相接した二台の駐車車両があると、横断の際は歩行者または他の車両等の正常な交通を妨害しないようにする安全確認義務を負うとはいえ、被告人において駐車車両に遮ぎられて、同正門前はもとより進行車線前方を見とおすことが不可能であつたと同様、横断開始に先き立ち同正門通路のところに車両を停止させた位置から右方の交通の安全を確認することは、駐車車両に遮ぎられて全く困難であつたから、右車両の中には、右方の交通の安全を確認するため、同正門から県道内に横断を開始し、被告人の進行車線上、駐車車両に妨げられずに右方を見とおせる地点まで進出する車両のあり得ることはもちろん、その際、右方の交通の安全を十分確認することなく、慢然、横断を開始し、駐車車両の蔭から、突如、対向車線に入ろうとする車両(本件被害車両がその例であることは原審で取調べた各証拠から明らかである)のあり得ることも、現在のわが国の道路交通の実情からいつてあながち否定できないところである。しかも、被告人は同正門から県道に出入する車両等のあり得ることを知つていたというのであるから、これら車両の中には、右で説示した本件被害車両のごとき車両のあり得ることも十分予見可能であつたはずであり、且つ、被告人が、警音器吹鳴義務はともかく、原判示の減速徐行義務を尽しておれば、本件衝突を回避することも十分可能であつたと思われる。したがつて、以上の諸事情のもとでは、駐車車両の側方を通過しようとする被告人において、横断車両が、横断開始に先き立ち、前示安全確認義務を尽すであろうことをあてにしても、右信頼は社会的に相当であるとは認められない。右諸事情は、前示信頼の原則の採用を否定すべき特段の事情に当たるというべきである。論旨は理由がない。

なお、所論は、原判決が信頼の原則を採用しなかつたことの理由を示していないと指摘して、原判決には刑訴法三七八条四号判決に理由を附さない違法がある、と主張する。しかし、同号に規定する場合の理由は、有罪判決においては刑訴法三三五条一項が判示することを要求する「罪となるべき事実、証拠の標目及び法令の適用」を指すのであつて、原判決がこれら三事項の判示を逸脱したとの違法は認められず(因みに、信頼の原則の適用があるとの主張は同条二項の主張にも当たらないと解すべきである)、前記主張は採用の限りではない。

控訴趣意書第一点の控訴趣意について。

所論は、要するに、原判決は、本件事故につき、被告人に警音器吹鳴義務及び減速徐行義務を肯定したうえ、被告人がこれらの義務に違反したとして過失を認定したが、右両義務のうち警音器吹鳴義務は起訴状に訴因として掲げられていず、しかも原審ではこの点につき訴因変更の手続は採られていないから、原判決は審判の請求を受けない事件について判決をした違法がある、というのである。

そこで検討するのに、原判決が所論の両義務を肯定して過失を認定したことは前示のとおりである。他方、起訴状の記載によると、被告人の過失の態様については、「……前方道路左側に交差道路があり、且つその手前道路左側に駐車車両があつて、左方道路の見とおしも悪かつたのであるから、減速徐行して進行すべき注意義務を怠り、前記速度のまま進行したため、……」となつている。右によれば、起訴状に公訴事実として掲げられた訴因では、被告人の過失は減速徐行義務違反と解されるのに対し、原判決は被告人の過失として、右義務違反のほか、警音器吹鳴義務違反をも認定したと解されるのである。

ところで、右減速徐行義務違反と警音器吹鳴義務違反とは過失の態様を異にした全く別個のものであることが明らかであり、原判示自体からは、前者が基本的過失であり、後者は二次的ないし派生的なものとして認定されたものとも窺われない。このような場合、原判決が訴因として掲げられた前者の過失のほか、後者の過失をも認定するには、その旨の訴因変更手続を要するものといわなければならない。しかるに、原審でこの訴因変更手続がなされた形跡は記録上何ら存しないのである。原判決には訴因の拘束力の範囲を逸脱して過失を認定した違法があり、この訴訟手続の法令違反は判決に影響を及ぼすことが明らかである。これと同趣旨の論旨は結局理由があり、原判決はこの点において破棄を免れない。

控訴趣意書第三点の控訴趣意について。

所論は、要するに、原判決は被告人の判示所為につき法令を適用するに当たり、刑法二一一条を摘示したのみで、罰金等臨時措置法の摘示を逸脱し、しかも所定刑中罰金刑を選択したうえ、被告人を罰金九万円に処したが、右は明らかに法令の適用を誤つたものであり、その誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかである、というのである。

確かに、原判決が被告人の判示行為に法令を適用するに当たり、刑法二一一条を摘示したのみで、罰金等臨時措置法三条一項一号の摘示を逸脱したことは所論指摘のとおりであり、右原判決の法令適用の誤りは明白である。しかも、原判決は、罰金等臨時措置法三条一項一号を摘示することなく、所定刑中罰金刑を選択したうえ、被告人を罰金九万円に処したのであり、原判決の法令適用の誤りが判決に影響を及ぼすこともまた明らかである。論旨は理由があり、原判決はこの点においても破棄を免れない。

そこで、刑訴法三九七条一項、三七九条、三八〇条により原判決を破棄したうえ、同法四〇〇条但書によりさらに次のとおり判決する。

(罪となるべき事実)

被告人は、自動車運転の業務に従事するものであるが、昭和四八年一〇月一一日午後四時五〇分頃、自動二輪車を運転して、時速約六〇キロメートルで、新潟市名目所県道(幅員7.25メートル)を三菱ガス化学方面より国道七号線方面に向け進行し、同所一、五〇四番地先路上に差しかかつた際、進路前方左側に存する同番地土建会社皆川組正門の手前の道路左側端には、たまたま、正門の方から普通貨物自動車(パネル車)、大型貨物自動車(八トン車)の順序で二台の車両が相接して駐車していた。右大型貨物自動車が駐車しているのをその後方において認めた被告人は、自車の進路を変えて駐車車両の右側方を通過しようとしたが、被告人のそれまでの進路からは右駐車車両に遮ぎられて皆川組正門前はもとより進行車線前方の道路状況を見とおすことは全く不可能であり、また被告人自身、右駐車車両の前方に皆川組正門及び同正門から皆川家屋敷内に通ずる通路があり、仕事関係の車両または歩行者が、日頃、同正門を通つて通路から県道に出たり、県道から通路に入つたりしていることも知つていたのであるから、このような場合自動車運転者としては、同正門通路から横断を開始した車両または歩行者が駐車車両の陰より、突如、被告人の通路に進出して来る場合に備えて、いつでも急停止できるよう自車を減速徐行して進行すべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り、漸次、自車の速度を従前の時速約六〇キロメートルから四五ないし五〇キロメートルに減速したのみで、自車をほぼセンターライン寄りに移行させてその進路を変更したうえ、駐車車両の右側方を通過しようとした過失により、駐車していた大型貨物自動車の右後方において、前方23.3メートル位の地点に、折から皆川組正門通路から県道に進入し、被告人の進行車線を右斜めに横断していた皆川松治(当時五三年)運転の原動機付自転車を発見し、急拠、ハンドルをやや右に切ると同時に、急制動したが間に合わず、自車を右原動機付自転車に衝突、同人をその場に転倒せしめ、もつて同人に脳挫傷の傷害を負わしめ、右傷害により同月一四日午後九時一五分頃、同市古川町三番四号桑名病院において、同人を死亡するに至らしめたものである。

(証拠の標目)<略>

(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法二一一条前段、罰金等臨時措置法二条一項、三条一項一号に該当するので、所定刑中罰金刑を選択し、所定刑期の範囲内で被告人を罰金九万円に処し、右の罰金を完納することができないときは、刑法一八条により金二、〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置し、原審及び当審における訴訟費用は刑訴法一八一条一項本文によりその全部を被告人に負担させることとする。

よつて、主文のとおり判決する。

(相澤正重 大前邦道 油田弘佑)

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